こんにちは、榊原です。今日は本の紹介です。三宅香帆さん著作の「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」の感想となります。
本の概要と主張
この本は作者である三宅さんが、社会人になった途端に読書量が激減した経験を語るところから始まり、読書の在り方の歴史を語るとともに、趣味や仕事に全力投球することについての疑問を呈しています。
途中で何度か2020年公開の作品、「花束みたいな恋をした」について引用しています。場面描写を詳細に説明してくれるので、理解することに問題はありません。僕もCMしか見たことがありませんでしたが、興味深く読めました。
この予告編で物語の大筋はわかってしまうような
半身であることについての納得
三宅さんは最終的には、働きながらでも読書をするために「半身」であることを提案します。全身全霊で仕事や趣味に没頭していては、関係ないところに手を伸ばせない。それなら、仕事にも趣味にも半身を置くことで色々なことを楽しむことができるのではないか、ということでした。
仕事への全力投球が疑問視される時代で受け入れられる主張だと思いますし、僕自身、深夜まで残業している時期があったので、納得できます。
そもそもが、全力投球すれば何かを為すことができて、それが尊いという考え方はまだまだ根強いように思います。
司法試験をはじめとする資格勉強などは、多大に時間と労力を消費するのに、そこから得られるものに見合わないことが多いような気がします。
脱線しますが、もしこれを読んでいる人で、司法試験を考えている人がいたら、日中の法科大学院はやめましょう。莫大な時間と資金を投入した結果、職歴のない無職が生産されかねません。働きながら夜間の大学院に通うか、予備試験(非常に低い合格率で法科大学院を免除可能)を狙いましょう。
疑問点
半身が可能なのは職業による気がしないでもないです。医師やエンジニアなど、日常的な業務と並行して新たな技術などを習得しなければならない職業に就いた人に、半身が可能かは疑問です。
また、新たな技術の創設やウイルスへの対処など、全力投球することが求められる人たちって、半身であることが周囲から許されるのでしょうか。
具体的には、政治家をはじめとする、成果を求められる職業が該当しそうです。昨今、ワークライフバランスが叫ばれていますが、政治家にそれが適応される主張をした人はあんまりいないように思います。
終わりに
教養とは何か、本を読む意味を語る面白い本でした。通勤電車の中でスマホをいじることに終始してしまう自分に疑問を持つサラリーマンに突き刺さると思います。